7月15日(日)・16日(月)の連休2日間、京都出町柳のGACCOHにて、フィルカル×GACCOHの分析哲学講座が開催されました(GACCOHでの案内ページはこちらをご覧ください)。真夏の講座、猛暑の講座でしたが、計4コマ、8時間の講座が熱く行われ、連日20名近くの方々に参加していただきました。暑い中どうもありがとうございました。関東からの参加者もいらしたようで、非常に熱心な参加者に支えていただきました。
今回は「自由論&時間論編」ということで、自由論のほうは、フィルカル創刊号から自由論入門を3号続けて執筆した高崎将平さん(東京大学大学院博士課程)に担当してもらいました。時間論のほうは、昨年GACCOHで分析哲学講座・認識論編を担当された大畑浩志さん(大阪市立大学大学院博士課程)に担当していただきました。2人の若き俊英がそれぞれ2コマずつ担当し、レクチャーに始まって議論や質疑応答のやりとりへ移行する、とてもエンターテイニングな講座となりました。
高崎さんは1日目は「決定論と自由は両立するか?」、2日目は「モラル・ラック」をめぐって講義・議論しました。この2回を通じて、私たちが自由であるというのはどういうことなのか、私たちはどういうことに責任をもつのか、という大きなテーマを考察することができました。
1日目「決定論と自由は両立するか?」で扱われたのは次のような問題です。私たちに行為を選択する自由があるという考えは常識的なものですが、これは決定論(行為を含めたあらゆるものごとはすべてあらかじめ決定されている、という考え)と両立するでしょうか。講義ではまず、これらは両立しない、という論証を与えてみたうえで、その論証への反例として、フランクファートという哲学者が与えた不思議な事例を検討しました。次に、フランクファートの与える自由の説明(これこれの欲求に従いたい、という欲求(二階の欲求)から自由を説明する立場)を詳しく考察しました。なお、この日の講義内容の詳しい解説は、弊誌Vol. 1, No. 1の高崎さんによる「自由論入門」にありますので、ぜひご確認ください。
2日目は、モラル・ラックの問題が扱われました。モラル・ラックの問題というのは、当人のコントロール外の要因(=運)で起きてしまった部分に道徳的責任を負わせていいのか、という問題です。たとえば、同じくらい酔っぱらっている人でも、車を運転して人をひいてしまう場合もしない場合もある(それは運によりけり)わけですが、もし道徳的責任は運に左右されないと(カントのように)考えるならば、どちらの場合でも同等の責任があるはずです。しかし、少なくとも法的・社会的にはこれらの場合の責任にはっきりとした違いが出るので、道徳的責任は運に左右されない、という考えと衝突します。講義では、運の種類や論証の種類を区別することで、こうした問題を詳しく検討しました。
大畑さんは1日目は「タイムトラベルとは何か」、2日目は「タイムトラベルから、時間と個体の形而上学へ」と題して講義・議論し、タイムトラベルを軸に、時間とは何か、時間を通じて存在しているものは何か、という哲学の根本問題へといざなってくれました。
1日目は現代時間論の枠組みとタイムトラベルの問題を扱いました。マクダガードの時間の非実在性証明(時間は実在しない!)を導入したうえで、それを拒否するための二つの対立する路線を検討しました。ひとつは「過去・現在・未来は世界を分ける客観的な区別だ」という路線(時制理論)で、その代表例は「存在するものは現在に存在するものだけだ」という現在主義です。もうひとつは「過去・現在・未来は客観的な区別ではなくて、どの時点のものごともすべて同等に存在する」という路線(無時制理論・永久主義)です。後半はタイムトラベルの定義と祖父殺しのパラドクスの問題を扱いました。また、講義の最後には、参加者一人一人が現在主義や永久主義のどれかの立場を引き受けてグループで討論・発表する、という楽しい企画もありました。
2日目は「時間を通じて個体が持続するとはどういうことか」を扱い、そのうえでタイムトラベルの可能性をもう一度考えました。「同じものは同じ性質をもつ」という原理を認めると、ものの変化(性質を獲得したり失ったり)が不可能であるように見えるわけですが、これをどう扱うか、というのがこの回のテーマです。立場は大きく2種類あって、そのうちのひとつの延続説によると、ものは空間的にだけでなく時間的にも拡がりをもつ。そうすると、あのときの私と今の私は「同じもの」ではなくて、「四次元的な拡がりをもつ私」の2つの部分だ、ということになります。もうひとつの立場である耐続説によると、ものは時間を通じて同じもので、するとこちらはその点で常識的ですが、性質には時点が含まれる(永久主義)とか、現在のものだけ存在するとか(現在主義)、その他の部分で問題がありそうなことを言わなければならなくなります。これらの立場を紹介したうえで、それぞれの立場でタイムトラベルの問題、特に自己訪問のパラドクスをどう扱えるかが議論されました。
参加者のみなさんがたくさんの質問をしてくださったおかげもあり、どの回も非常に充実した講座となりました。途中、講義内容の「分析哲学らしさ」についてのご質問がありましたが、今回の講座でも自由や時間という概念に他の概念(責任、他行為可能性、欲求、運…、時制、存在、個体、性質…)がどのように結びつき、また結びつかないのか、などのことが、論証を通じて「わかるようになる」という体験が得られたはずです。「違いがわかる人になる」――これはとても分析哲学の講座らしい体験だったのではないでしょうか。
さらに詳しい内容は9月末発刊の『フィルカル』最新号に掲載される予定です。ぜひご覧ください。また、レクチャーの際に寄せていただいた質問に対する高崎さん、大畑さんからの回答もGACCOHのページにアップされる予定ですので、特に参加者のみなさんはこちらもチェックしてみてください。
フィルカル×GACCOH「やっぱり知りたい!分析哲学」へのご意見・ご要望お待ちしております。次回はこういうことをやってほしいとか、こういう工夫をしてほしいとか、こういう形式でやってほしいとか、いろいろなご意見お待ちしております。問い合わせフォーム、または編集委員まで、気軽にご意見をお寄せください。次のレクチャーシリーズをぜひお楽しみに!