Vol. 3, No. 2が刊行されました

分析哲学と文化をつなぐ雑誌『フィルカル』Vol. 3, No. 2が9月30日に刊行されました。
今号も370ページの大ボリュームでのお届けです。

小特集「スポーツ」ではスポーツ倫理学概説と合気道論を掲載し、スポーツに対する鋭い哲学的分析を提供しています。
「研究への招待」では文化的盗用(cultural appropriation)に関する分析美学の議論を紹介、さらに、「文化の分析哲学」の論文たちには、ブルーフィルム、コンテンツ・ツーリズム、RADWIMPS「HINOMARU」など、現代文化の諸相を分析美学の観点から分析した論考たちが集結です。
また、分析哲学の源流「ルヴフ=ワルシャワ学派」の祖トファルドフスキの翻訳を解説付きでお送りし、「文化としての分析哲学」の側面も哲学史的に探究できる号となっております。
そして、デヴィッド・ルイス入門、3回目の今回は、前回の反事実条件文分析の応用として、因果論という哲学的に超重要なテーマを取り上げ、紹介しています。
他に美学・哲学イベント記事、国際美学会報告、なろう小説ガイドも収録し、大変幅広い文化現象をいろいろな視点から扱っています。
ぜひお手にとってご覧ください。

Amazonでもご購入いただけます。

目次

哲学への入門
デヴィッド・ルイス入門 第3回 因果(野上 志学)

研究への招待
論考「文化的盗用—その限界、その分析の限界—」(渡辺 一暁)

文化の分析哲学
●小特集:スポーツ
論考「なにが私にとってスポーツ倫理学を気になるものにしているのか」(長門 裕介)
論考「合気道の観ている(であろう)ものについて」(高橋 志行)

論文「ブルーフィルム鑑賞者であるとはどのようなことか?—土佐のクロサワのために—」(吉川 孝)
論文「コンテンツ・ツーリズムから《聖地巡礼的なもの》へ—コンテンツの二次的消費のための新しいカテゴリ—」(谷川 嘉浩)
論文「作品とカテゴリーの実践—「HINOMARU」批評の分析—」(竹内 未生)

翻訳
ルヴフ=ワルシャワ学派 第1回(解説&翻訳:中井 杏奈)

イベント
フィルカルVol. 3, No. 1刊行記念イベント(発表者:高田 敦史、岩切 啓人/司会&コメンテーター:森 功次)
フィルカル×GACCOH講座「やっぱり知りたい!分析哲学―自由論&時間論編―」(講師:高崎 将平、大畑 浩志)

報告
「国際美学会中間大会に参加して」(青田 麻未)

コラムとレビュー
コラム「異世界って何なんだよと思ってなろう小説を読んでみたら異世界転移モノに俺だけがどハマリした~最強×ハーレムにも実は色々ありました~ 第1話」 (しゅんぎくオカピ)
レビュー「2018年上半期書評」(長門 裕介)
レビュー「ホーキング青山『考える障害者』」(八重樫 徹)

投稿募集中

編集部では次号へ向け、分析哲学と文化をテーマとした原稿を募集しています。

投稿締切:2018年12月31日(月)
投稿先:philcul[at]myukk.org(「at」を「@」に変えてください)
原稿は、メールの件名に「フィルカル投稿」と明記したうえで、添付ファイルでお送りください。

投稿の詳細については「投稿募集」ページをご覧ください。
熱意のこもった原稿をお待ちしております。


レポート:フィルカル×GACCOH講座「やっぱり知りたい!分析哲学―自由論&時間論編―」

7月15日(日)・16日(月)の連休2日間、京都出町柳のGACCOHにて、フィルカル×GACCOHの分析哲学講座が開催されました(GACCOHでの案内ページはこちらをご覧ください)。真夏の講座、猛暑の講座でしたが、計4コマ、8時間の講座が熱く行われ、連日20名近くの方々に参加していただきました。暑い中どうもありがとうございました。関東からの参加者もいらしたようで、非常に熱心な参加者に支えていただきました。

今回は「自由論&時間論編」ということで、自由論のほうは、フィルカル創刊号から自由論入門を3号続けて執筆した高崎将平さん(東京大学大学院博士課程)に担当してもらいました。時間論のほうは、昨年GACCOHで分析哲学講座・認識論編を担当された大畑浩志さん(大阪市立大学大学院博士課程)に担当していただきました。2人の若き俊英がそれぞれ2コマずつ担当し、レクチャーに始まって議論や質疑応答のやりとりへ移行する、とてもエンターテイニングな講座となりました。

高崎さんの講義の様子

高崎さんは1日目は「決定論と自由は両立するか?」、2日目は「モラル・ラック」をめぐって講義・議論しました。この2回を通じて、私たちが自由であるというのはどういうことなのか、私たちはどういうことに責任をもつのか、という大きなテーマを考察することができました。

1日目「決定論と自由は両立するか?」で扱われたのは次のような問題です。私たちに行為を選択する自由があるという考えは常識的なものですが、これは決定論(行為を含めたあらゆるものごとはすべてあらかじめ決定されている、という考え)と両立するでしょうか。講義ではまず、これらは両立しない、という論証を与えてみたうえで、その論証への反例として、フランクファートという哲学者が与えた不思議な事例を検討しました。次に、フランクファートの与える自由の説明(これこれの欲求に従いたい、という欲求(二階の欲求)から自由を説明する立場)を詳しく考察しました。なお、この日の講義内容の詳しい解説は、弊誌Vol. 1, No. 1の高崎さんによる「自由論入門」にありますので、ぜひご確認ください。

2日目は、モラル・ラックの問題が扱われました。モラル・ラックの問題というのは、当人のコントロール外の要因(=運)で起きてしまった部分に道徳的責任を負わせていいのか、という問題です。たとえば、同じくらい酔っぱらっている人でも、車を運転して人をひいてしまう場合もしない場合もある(それは運によりけり)わけですが、もし道徳的責任は運に左右されないと(カントのように)考えるならば、どちらの場合でも同等の責任があるはずです。しかし、少なくとも法的・社会的にはこれらの場合の責任にはっきりとした違いが出るので、道徳的責任は運に左右されない、という考えと衝突します。講義では、運の種類や論証の種類を区別することで、こうした問題を詳しく検討しました。

大畑さんの講義の様子

大畑さんは1日目は「タイムトラベルとは何か」、2日目は「タイムトラベルから、時間と個体の形而上学へ」と題して講義・議論し、タイムトラベルを軸に、時間とは何か、時間を通じて存在しているものは何か、という哲学の根本問題へといざなってくれました。

1日目は現代時間論の枠組みとタイムトラベルの問題を扱いました。マクダガードの時間の非実在性証明(時間は実在しない!)を導入したうえで、それを拒否するための二つの対立する路線を検討しました。ひとつは「過去・現在・未来は世界を分ける客観的な区別だ」という路線(時制理論)で、その代表例は「存在するものは現在に存在するものだけだ」という現在主義です。もうひとつは「過去・現在・未来は客観的な区別ではなくて、どの時点のものごともすべて同等に存在する」という路線(無時制理論・永久主義)です。後半はタイムトラベルの定義と祖父殺しのパラドクスの問題を扱いました。また、講義の最後には、参加者一人一人が現在主義や永久主義のどれかの立場を引き受けてグループで討論・発表する、という楽しい企画もありました。

2日目は「時間を通じて個体が持続するとはどういうことか」を扱い、そのうえでタイムトラベルの可能性をもう一度考えました。「同じものは同じ性質をもつ」という原理を認めると、ものの変化(性質を獲得したり失ったり)が不可能であるように見えるわけですが、これをどう扱うか、というのがこの回のテーマです。立場は大きく2種類あって、そのうちのひとつの延続説によると、ものは空間的にだけでなく時間的にも拡がりをもつ。そうすると、あのときの私と今の私は「同じもの」ではなくて、「四次元的な拡がりをもつ私」の2つの部分だ、ということになります。もうひとつの立場である耐続説によると、ものは時間を通じて同じもので、するとこちらはその点で常識的ですが、性質には時点が含まれる(永久主義)とか、現在のものだけ存在するとか(現在主義)、その他の部分で問題がありそうなことを言わなければならなくなります。これらの立場を紹介したうえで、それぞれの立場でタイムトラベルの問題、特に自己訪問のパラドクスをどう扱えるかが議論されました。

参加者のみなさんがたくさんの質問をしてくださったおかげもあり、どの回も非常に充実した講座となりました。途中、講義内容の「分析哲学らしさ」についてのご質問がありましたが、今回の講座でも自由や時間という概念に他の概念(責任、他行為可能性、欲求、運…、時制、存在、個体、性質…)がどのように結びつき、また結びつかないのか、などのことが、論証を通じて「わかるようになる」という体験が得られたはずです。「違いがわかる人になる」――これはとても分析哲学の講座らしい体験だったのではないでしょうか。

さらに詳しい内容は9月末発刊の『フィルカル』最新号に掲載される予定です。ぜひご覧ください。また、レクチャーの際に寄せていただいた質問に対する高崎さん、大畑さんからの回答もGACCOHのページにアップされる予定ですので、特に参加者のみなさんはこちらもチェックしてみてください。

フィルカル×GACCOH「やっぱり知りたい!分析哲学」へのご意見・ご要望お待ちしております。次回はこういうことをやってほしいとか、こういう工夫をしてほしいとか、こういう形式でやってほしいとか、いろいろなご意見お待ちしております。問い合わせフォーム、または編集委員まで、気軽にご意見をお寄せください。次のレクチャーシリーズをぜひお楽しみに!


レポート:『フィルカル』トークイベント@Readin’ Writin’

4月21日(土)、田原町の書店Readin’ Writin’にて『フィルカル』最新号刊行記念のトークイベントが行われました。今回はそのレポートです。

メインスピーカーとして最新号に論文の掲載された高田敦史氏と岩切啓人氏を招き、弊誌編集委員の森功次氏も司会・コメンテーターとして参加してもらいました。高田氏と岩切氏に論文の内容やモチベーションを一般向けにわかりやすく伝えてもらったうえで、参加者との間でディスカッションを行いましたが、非常に議論の活発なイベントになりました。

会場の様子を上から撮った写真

ディスカッションの様子

高田氏の発表では、論文「スーパーヒーローの概念史」の内容をわかりやすく伝えてもらいました。アメコミ文化の中でキャラクターを虚構世界の外側から規定する概念(虚構外的概念)にすぎなかったスーパーヒーロー概念が、虚構世界内の人々が自覚的に使う概念(虚構内的概念)にもなる、という変化を追う内容です。また、内容だけでなく、どのような方法で研究を進めたかも発表してもらいました。この論文は、ハッキングの歴史的存在論の適用事例でもありますが、歴史的存在論に魅力を感じながらもそれを実践する哲学者の少ない中、高田氏の研究手法の紹介は参考になるものだったと思います。

高田氏による発表の様子の写真

司会の森氏(左)と発表中の高田氏(右)

高田氏の発表内容に関するディスカッションでは、特に虚構内的概念としてのスーパーヒーローの特殊性をめぐって、活発に議論されました。たとえば、アメコミでは虚構内的概念が発達したけれど日本の特撮などではそうでないのはなぜなのか、という点です。日本のスーパーヒーローとの違いは特に興味をひく話題であったようです。また、虚構内的概念の描かれ方の特殊性も関心を集めました。虚構内的概念を描く際にいまだにパロディー的・メタ的なニュアンスはあるのか、作品内の人々がスーパーヒーローをフィクション(マンガ内に現れるマンガ)から知ることは最近でもあるのか、などといった点です。

岩切氏の発表では、アプロプリエーションアート(既存作品の複製によって作品を作るアート)の例を軸に、論文「創造と複製」の内容と意義が生き生きと伝えられていました。複製は創造ではない、という説を批判する議論です。発表後半では、「複製はすべて悪であるのか?」という、論文では明示的に扱われていない(けれど動機づけとなっていた)興味深い論点が扱われていました。特に「贋作、剽窃とアプロプリエーションアートは何が違うのか」という点の整理は示唆に富んでいました。

岩切氏による発表の様子の写真

発表中の岩切氏

岩切氏の発表内容に関するディスカッションでは、特にアプロプリエーションアートの位置づけについて活発に議論されました。たとえば、鑑賞する際に何を評価するかでいえば、アプロプリエーションと剽窃はたいして変わらないのではないのか(vaporwaveを聴くときと山下達郎を聴くときのポイントはたいして変わらないのではないか)、という点、アプロプリエーションは(元ネタの)初見の感動を奪うのだから、アートワールド全体の観点から見ると悪いところもあるのではないか、という点などです。特に初見の感動の問題はネタバレ問題ともリンクするため、ディスカッション最終部で非常に盛り上がりました。

また、二人の発表内容が交わるような部分での議論もありました。スーパーヒーローコミックスにもアプロプリエーションを用いる場合やそれに似た側面はあるのか、という話題、ポピュラーカルチャーでのアプロプリエーションの事例(『高慢と偏見とゾンビ』)、アプロプリエーションを含めた作品の作者は誰なのか(誰をクレジットするのか)という問題などが論じられていました。

以上のように、わずか2時間の間に非常に豊かな内容が詰め込まれたイベントとなりました。参加くださった方々、どうもありがとうございました。議論のもう少し詳しい内容は、次号『フィルカル』に何らかの形で掲載する予定ですので、お楽しみに。

『フィルカル』では今後もイベントを行っていく予定です。今回のイベントの感想、今後扱ってほしいテーマ、招いてほしいスピーカー、試みてほしいイベント形式などについて、みなさまのご意見を募集中です。問い合わせフォーム、または編集委員まで、気軽にご意見をお寄せください。