レポート:『フィルカル』トークイベント@Readin’ Writin’

4月21日(土)、田原町の書店Readin’ Writin’にて『フィルカル』最新号刊行記念のトークイベントが行われました。今回はそのレポートです。

メインスピーカーとして最新号に論文の掲載された高田敦史氏と岩切啓人氏を招き、弊誌編集委員の森功次氏も司会・コメンテーターとして参加してもらいました。高田氏と岩切氏に論文の内容やモチベーションを一般向けにわかりやすく伝えてもらったうえで、参加者との間でディスカッションを行いましたが、非常に議論の活発なイベントになりました。

会場の様子を上から撮った写真
ディスカッションの様子

高田氏の発表では、論文「スーパーヒーローの概念史」の内容をわかりやすく伝えてもらいました。アメコミ文化の中でキャラクターを虚構世界の外側から規定する概念(虚構外的概念)にすぎなかったスーパーヒーロー概念が、虚構世界内の人々が自覚的に使う概念(虚構内的概念)にもなる、という変化を追う内容です。また、内容だけでなく、どのような方法で研究を進めたかも発表してもらいました。この論文は、ハッキングの歴史的存在論の適用事例でもありますが、歴史的存在論に魅力を感じながらもそれを実践する哲学者の少ない中、高田氏の研究手法の紹介は参考になるものだったと思います。

高田氏による発表の様子の写真
司会の森氏(左)と発表中の高田氏(右)

高田氏の発表内容に関するディスカッションでは、特に虚構内的概念としてのスーパーヒーローの特殊性をめぐって、活発に議論されました。たとえば、アメコミでは虚構内的概念が発達したけれど日本の特撮などではそうでないのはなぜなのか、という点です。日本のスーパーヒーローとの違いは特に興味をひく話題であったようです。また、虚構内的概念の描かれ方の特殊性も関心を集めました。虚構内的概念を描く際にいまだにパロディー的・メタ的なニュアンスはあるのか、作品内の人々がスーパーヒーローをフィクション(マンガ内に現れるマンガ)から知ることは最近でもあるのか、などといった点です。

岩切氏の発表では、アプロプリエーションアート(既存作品の複製によって作品を作るアート)の例を軸に、論文「創造と複製」の内容と意義が生き生きと伝えられていました。複製は創造ではない、という説を批判する議論です。発表後半では、「複製はすべて悪であるのか?」という、論文では明示的に扱われていない(けれど動機づけとなっていた)興味深い論点が扱われていました。特に「贋作、剽窃とアプロプリエーションアートは何が違うのか」という点の整理は示唆に富んでいました。

岩切氏による発表の様子の写真
発表中の岩切氏

岩切氏の発表内容に関するディスカッションでは、特にアプロプリエーションアートの位置づけについて活発に議論されました。たとえば、鑑賞する際に何を評価するかでいえば、アプロプリエーションと剽窃はたいして変わらないのではないのか(vaporwaveを聴くときと山下達郎を聴くときのポイントはたいして変わらないのではないか)、という点、アプロプリエーションは(元ネタの)初見の感動を奪うのだから、アートワールド全体の観点から見ると悪いところもあるのではないか、という点などです。特に初見の感動の問題はネタバレ問題ともリンクするため、ディスカッション最終部で非常に盛り上がりました。

また、二人の発表内容が交わるような部分での議論もありました。スーパーヒーローコミックスにもアプロプリエーションを用いる場合やそれに似た側面はあるのか、という話題、ポピュラーカルチャーでのアプロプリエーションの事例(『高慢と偏見とゾンビ』)、アプロプリエーションを含めた作品の作者は誰なのか(誰をクレジットするのか)という問題などが論じられていました。

以上のように、わずか2時間の間に非常に豊かな内容が詰め込まれたイベントとなりました。参加くださった方々、どうもありがとうございました。議論のもう少し詳しい内容は、次号『フィルカル』に何らかの形で掲載する予定ですので、お楽しみに。

『フィルカル』では今後もイベントを行っていく予定です。今回のイベントの感想、今後扱ってほしいテーマ、招いてほしいスピーカー、試みてほしいイベント形式などについて、みなさまのご意見を募集中です。問い合わせフォーム、または編集委員まで、気軽にご意見をお寄せください。

フィルカル編集部
分析哲学と文化をつなぐ雑誌