3月10日(日)、東京神田の東京堂書店内にある東京堂ホールにて、弊誌編集長長田怜の登壇したトークイベント「哲学者と編集者で考える、〈売れる哲学書〉のつくり方」が、オンガージュ・サロン主催で行われました。近年、ポピュラー哲学と呼ばれる従来とは異なるタイプの一般向け哲学書が次々とベストセラーとなり、哲学書の「売れ方」の新しい局面が目立ち始めています。『フィルカル』では、これまでにないこの動向に対し哲学研究者には何ができ何をするべきなのかを考えようと、4-1号にてポピュラー哲学特集を組みました。当日のイベントではこのポピュラー哲学特集の執筆者三名に加え、編集者二人を招き、精力的に発表と議論がおこなわれました。
登壇者は、弊誌編集委員で4-1号掲載のポピュラー哲学特集を企画した稲岡大志さん(現在は大阪経済大学)、マルクス・ガブリエルブームを牽引する堀之内出版から小林えみさん、我が国における分析哲学の出版物を常にリードし、分析哲学という分野そのものを開拓してきた勁草書房から山田政弘さん、さらに数々の人文・社会系ブックフェアを成功させてきたことで知られる酒井泰斗さん(ルーマンフォーラム/ブックフェアプロデューサー)、現役の哲学研究者でありつつ企業に籍を置くマーケティングの専門家である朱喜哲さん(大阪大学/マーケティングプランナー)という、いまこのテーマでやるならこれしかない、と言えるくらいの豪華メンバーです。それでは、当日の様子をかいつまんで紹介していきます。(なお、紹介文の最後には、会場ではお答えできなかったウェブ上でのご質問に対して、登壇者の方たちからの回答が寄せられています。ぜひ最後までお読みください。)
最初に朱さんが全体的なブリーフィングを行いました。朱さんはまず「売れる哲学書」とはなにかという話から始め、具体的に「売れた」哲学書や一般的な哲学研究書の例とそれぞれの販売部数をあげていきます。そのうえで、研究者と出版社では哲学書の販売部数に関してそもそもかなり感覚の違いがあると指摘します。研究者はどうしても出版を研究業績、いわば「出せばよいもの」と思いがちなので数百部規模で考えますが、出版社は採算を意識して数千~数万部というスケールで考えます。一方で両者には突き詰めて話し合ってみると実は「持続可能性」という点で共有できる意識があることもわかり、「売れる哲学書」を持続可能な哲学書と捉えることで、ともに「売れる哲学書」を共通の目標にできる、といいます。ここで持続可能性とは、研究者にとっては当該分野における研究の、出版社にとっては(その分野の)出版ビジネスを継続していける可能性のことです。さらにこうした持続可能性を確保できる最低限の目安として、出版部数1,500部、出来高(単価×販売部数)5,000,000円という具体的な数字をあげられました。
続いて弊誌編集長長田から、近年のポピュラー哲学の隆盛と関連づけるべく、三年前のフィルカル創刊の三つの背景について簡単な説明がありました。第一の背景は、分析哲学と大衆文化の一般化です。分析哲学はもともとドイツ語圏やフランス語圏の哲学に対し、英語圏の哲学として知られていましたが、現在では世界中どの地域においても広く研究されています。また、誕生期には論理学・数学・自然科学を主な研究対象としていましたが、現在ではかなり広範な領域(ほぼすべての哲学的テーマ)にわたって研究が行われています。一方、最近いわゆるインテリ層がアニメ、マンガ、ゲーム等の大衆文化を積極的に楽しみ、語るようになっているという一般的な傾向が見られます(これは哲学科の大学院生などに限ってもここ十数年で特に目立って感じられます)。この二つの「隆盛」をもとに、プロの批評家ではなく分析哲学の専門家が、哲学以外の文化的事象一般を批評的に論じてみようという試みがフィルカルを生んだというわけです。
第二の背景は、分析美学の存在感が近年ますます大きくなっている、という事実です。分析美学は、分析哲学の手法や概念を用いて美学的概念を研究する分野ですが、このところ日本語でも刊行物が相次ぎ、若手研究者の数も増えてきています。フィルカルスタッフにはこうした若手分析美学者が数多くいて、投稿原稿のかなり綿密な査読をしてくれたり、あるいは原稿検討のための研究会を開いてくれたりしています。そして美学がそもそも文化事象の批評を哲学的に行うにあたって強力な武器となるのは言うまでもありません。
第三の背景は、執筆者、読者、書店や出版社の方々などの「優しさ」です。創刊以来編集部が常に感じ、感謝しているのは、こうしたコンセプトをもとに雑誌を立ち上げようとしたときに、こちらが思っていた以上に多くの人々が好意的な反応をしてくださり、また応援してくださっている、ということです。今後はもっともっと多くの人に読んでいただいて、誌面を充実させたり、イベントを企画したり、応援してくださる「サポーター」とも言うべき方々に恩返しできるようにしていきたい。そうしたコメントで長田のトークは締めくくられました。
次の登壇者は稲岡さん、小ネタを挟みながら場を巧みに盛り上げつつ、なぜポピュラー哲学を特集しようと思ったのか、その企画意図をわかりやすく説明する手並みはさすがです。稲岡さんによれば、ポピュラー哲学とは、主に哲学の非専門家が哲学の非専門家である読者向けに書いた哲学書に象徴されるような哲学のことです。2010年の『超訳 ニーチェの言葉』(白取春彦訳、ディスカヴァー・トゥエンティワン)の大ヒットを皮切りに、現在までポピュラー哲学書のブームが続いています。この新しい動きの背景となっているのが、それ以前の、もしくは潜在的に存在していた1.自分探しブーム、2.プチ教養書ブーム、3.自己啓発・スピリチュアル系読者層、4.ビジネス界からの熱い視線、の四つの要因であると稲岡さんは分析します。そのうえで現在のポピュラー哲学は大きく分けて雑誌、教養書系、ビジネス書系、エンタメ系へと枝分かれしていると指摘します。
専門家のコミュニティの外にあるこうした「哲学ブーム」に対して、専門家である哲学研究者はどうするべきなのか。関わらない、というのもひとつの答えかもしれません。しかし哲学の「ライトユーザー」層は専門家が思っている以上に広い、と稲岡さんは言います。専門家による哲学の研究活動も教育活動も、哲学の「ユーザー」を増やすための「営業」活動として見るならば、ポピュラー哲学はこうした営業の商業的に成功した部門であると言えます。またポピュラー哲学へ関心をもつことで専門家は自分たちの研究の社会的発信や波及効果のあり方について学ぶことができますし、さらにポピュラー哲学の成功による哲学系書籍(より専門的なものも含む)の市場拡大も期待できます。こうした理由から稲岡さんは専門家もポピュラー哲学に積極的に関心をもっていくべきだ、とうったえました。
三番目は、酒井さんです。 ブックフェア、研究会、学術書などのプロデューサーとして、 研究支援というほかに類を見ない独自の活動を続けてきた酒井さんが、まずこれまでの活動の概要を説明してくれました。酒井さんは自らを人文社会系研究の成果に対する「消費者運動」の「活動家」であると紹介しました。その根本にあるのは、自然科学の成果が我々の日常生活のインフラを生み出していくように、人文・社会系の思想も我々の社会のインフラを作っている、人は意識せずともつねに思想に従って行為している、という考えです。このように消費活動として思想の受容をとらえるなら、ほかの日常的な生産物の消費者運動と同様に、その生産過程に介入することで「生産物」のクオリティコントロールを行おうとするのは自然なことだ、と酒井さんは言います。
そこで具体的に過去に酒井さんが2014年に企画したブックフェア「実践学探訪:概念分析の社会学(エスノメソドロジー)からはじめる書棚散策」を題材に、生産者と消費者という観点から研究者と読者の新しい関係を構築した例が分析されました。一般的なブックフェアは、新刊の著者である有名人が、一般向けのやさしめの本を、自分のセンスの表現として選出する、というものです。これに対し酒井さんは、該当する分野全体において読むべき本、読んで間違いのない本を求めている読者層(コアな読書人)が広く存在していると考えます。実際、研究書というのは単独で読まれるものではなく、ほかの研究との関連で読まれるべきものです。そこで研究者のグループに、自分たちの研究を関連づけて読んでほしい本、自分たちの本を理解するために事前に読んでおくことが必要な本のネットワークを明示化し、紹介してもらうというアイデアにたどり着きました。これらのネットワークは研究者のあいだでは暗黙のうちに共有されており、論文中でわざわざ言及されることはありませんが、それこそが専門書にアクセスしたい読書人のハードルを正攻法で下げる情報なのです。そしてこうした明示化によって潜在的な読者の層を拡大し、本当であればその本が届いてよかったはずなのに届いていない人々へと本を届けることにもなる、と酒井さんは言います。実際この異例のブックフェアは異例の売上を残しました。酒井さんの視点は、徹頭徹尾社会関係のなかで研究やその成果の意味を捉える、というものです。研究とはどのようなものかという本質的な問題が著作の売り方の問題に直接つながり、具体的な成功例でそれを裏付ける、見事なプレゼンでした。
次は今回のイベントの司会もやってくださった朱さんの発表です。朱さんも『信頼を考える リヴァイアサンから人工知能まで』(小山虎編著、勁草書房、2018年)刊行記念(こちらも酒井さんプロデュースです)のブックフェア「リヴァイアサンから人工知能まで:信頼から始める書棚散策」を題材に、書き手が売り方に積極的にコミットして成功した事例を酒井さんとはまた異なる、マーケティングという観点から分析してくれました。具体的に朱さんが行ったのは、ブックフェア会場となった紀伊國屋書店さんから期間中毎週売上を報告してもらい、それをもとに主に売上の立っていない書籍について執筆者、推薦者にPOP作成やSNS上での宣伝を依頼、次週以降の売上データでこれらの施策の効果をみるというサイクルを六回繰り返す、ビジネスにおけるいわゆるPDCAサイクルを研究者自らが研究書について実践してみるという試みでした。
このように厳密にデータをとってみて、さまざまなことが明らかになりました。会場では各種グラフや数字をあげて実際に検証されていましたが、そのひとつは、SNSの影響力の圧倒的な大きさです。関連ツイートの三日後に売上があがるという明確な相関が全体的に見られましたが、POPの内容もSNSで発信することでさらに効果が高まることがわかりました。全体としてフェア内でツイートの多かったカテゴリは売上が大きかったということも明らかになりました。また、棚陳列、平積み、平積み+POPで比較すると、平積み+POPの売上が圧倒的に増えています。これはつまり、学術共同体において「お墨付き」の専門家によるリコメンドは明確な効果がある(特に初動において)、ということです。さらに興味深いのは、専門書に関しては高い本が売れないとはまったく言えない、という結果です。むしろ専門家による適切なリコメンドがあれば、フェアの終盤にかけて高い本ほど売れていく傾向があります。マーケティングのプロだけあって、朱さんによる数字とデータ分析による解説にはたいへんな説得力がありました。
続いてディスカッション、まずは編集者のお二人に研究者の側からの質問にお答えいただきました。そのうちのいくつかをご紹介します。
Q.『フィルカル』など哲学者側からのチャレンジは版元や出版業界全体のなかでどう位置づけられているのか?
「哲学の編集者とはいえませんので、以下、人文書にも携わる編集者という立場からわかる範囲でお答えさせて頂きます。また今回のイベントにかかわる所感は配布資料にまとめましたので、そちらをご覧下さい(「所感:2010年代の日本の商業出版における著者と編集者の協働について、営業担当者と書店との協働について」)。研究者には研究者にしかできないことがあるので、そういった点をどんどん発信していってほしいです」(小林さん)
「一般的に、編集者には限られた時間のなかでの出版点数の確保という問題があるので、内容や質の精査といった側面、ゲートキーピングをその分野により詳しい研究者が行ってくれるのはありがたいのではないでしょうか」(山田さん)
Q.そもそもアカデミックな研究者に期待することはなにか。
「あまり各方面に目配りしたり気を使ったりすると研究が「小さく」なっていく可能性もあります。自分の好きなことを積極的にどんどん研究してほしいです」(小林さん)
「最近の若手研究者は専門分化が目立つので、商業出版としては自分の専門を多少離れても大きな話ができる筆致を身につけていただけると助かります」(山田さん)
Q.「売れた本」というのは狙い通りなのか。
「通常の売れ行きに関しては、版元の努力である程度は売れるはずですので、その努力は版元の責任だと思って販促に努めます。それ以上のヒットに関しては外部要因が大きく、あらかじめの予測はできません」(小林さん)
「著者の過去の売上や分野ごとの規模感から、下限は予測できます。それ以上は偶然的です。弊社の「売れた」本に関して、初刷りから多めに刷ってあったものはあまりありません」(山田さん)
Q.分野ごとの規模感というのはどうやって知るのか。
「営業と書店との関わりや出版業界の横のつながりなどで情報収集します」(小林さん)
Q.そういった蓄積された規模感のない新しい分野の場合はどうなるのか。
「とりあえずその分野の翻訳を何点か出してみて様子を見るということはあります。また、必要だと考えれば粘り強く出版を続けることで日本でのその分野自体を開拓しようとすることもあります」(山田さん)
Q.ポピュラー哲学の読者が専門の研究書を読むようになるということはあるのか。
「ものによります。飲茶さんの本などは、科学哲学などを結構とりあげてくれているので、弊社の刊行物につなげてくれている可能性はあると思います」(山田さん)
「読んだ人がその分野全体へ興味をもったり、若い人が読んだ場合に進学先として選んだりなどの影響が考えられます」(小林さん)
ここで稲岡さんが発言し、大学のシラバスなどをみると、ポピュラー哲学書を入口にしてそこから専門家による入門書を読むなど、ポピュラー哲学書を段階的な導入に用いることで有効に活用している例が見られること、最近は研究者がポピュラー哲学のスタイルで書いたしっかりしたものが成功している例も見られること(津崎良典『デカルトの憂鬱』(扶桑社、2018年)、岸本智典編『ウィリアム・ジェイムズのことば』(教育評論社、2018年)、国分功一郎『NHK 100分de名著 スピノザ『エチカ』』(NHK出版、2018年)など)などをあげて、ポピュラー哲学による専門書への橋渡しが十分期待できることを指摘しました。
最後に、ウェブ上や会場でいただいた質問に登壇者が答える時間が設けられました。そのうちのいくつかを紹介します。
Q.フェアで一時的に売上がのびるのはわかったが、その後の持続的な影響はあるのか。
「それが直接わかるデータはありません。しかし、各フェアそれぞれについてフェアパンフレットを再現したWEBページが複数あり、そこからは継続的に売れていますし、書店の方はフェア終了後も全国の図書館や大学にフェア・パンフレットをもって営業しており、双方をあわせると、フェア期間中の書店店頭よりも多く売れているだろうと思います」(酒井さん)
Q.表紙やタイトルをポップなものにすると読者が手に取りやすいというのはあると思うが、出版社側はどのように決めているのか。
「基本的には編集者の好みが大きいですが、著者が強く希望を出して決まることもあります。タイトルは分野がなんであるかを明示したいときはポップなメインタイトルにサブタイトルで分野名をいれたりもします」(山田さん)
「書籍の内容や販売計画から考案します。著者も要望を言ったほうが良いです。タイトルは著者の要望と、読者、書店で置いて欲しい棚などを考えて総合的に決めることが多いです」(小林さん)
「ポピュラー哲学を出している出版社の本を見ていると、明らかに表紙やタイトルで売れるように様々な工夫を凝らしているので、学術出版社もそういった方向に冒険してみると面白いのではないでしょうか」(稲岡さん)
Q.ポピュラー哲学は非専門家による非専門家のための哲学入門書とのことだが、専門家が書いたものもあるように思える。どういう区分なのか。
「非専門家による非専門家のための、というのはおおまかな定義で、そうしたポピュラー哲学のスタイルというものがあり、それを専門家が真似て書いた場合はポピュラー哲学と言えると思います。ここでいうスタイルには表紙、タイトル、版元がどこか、といったことまで含みます」(稲岡さん)
「この点については『フィルカル』4-1の特集冒頭で企画者の稲岡さんが詳しく敷衍しています。ぜひご覧ください」(酒井さん)
ウェブ上には多数の質問をよせていただきましたが、会場では十分にお答えできませんでした。そこでその一部について、登壇者のみなさんからのお答えをここに掲載します。
Q.ポピュラー哲学書が売れる意義はわかったのだが、学術書が商業的に売れる必要はあるのか。
「《読まれる》と《売れる》が商業的にはほぼイコールですが、大事なのは《読まれる》ことだと考えているので、必ずしも商業ベースであるべきとは思っておらず、《読まれる》ためには研究者主体によるオープンアクセスなども可能性があると思っています」(小林さん)
「確かに売れなくとも(商売の継続性を除いて)すぐにどうこうということはないが、量が積み重なると、質が変容する(高まる)ということはありますし、それがないと、全体としてまずいのではと考えています」(山田さん)
「この質問は、イベントタイトル内の〈売れる〉という表現の曖昧さと、ポピュラー哲学と専門的な哲学との関係を専門的な研究者たちがどう考えているのかに関する曖昧さの双方から出てきたものではないかと思います。後者については、専門的な哲学者の側の現在のステージがまだ、「専門的哲学者がこれまで考慮してこなかったポピュラー哲学との関係をきちんと考えたい」というくらいのところにあり、これに対する明確な方向性が示されたわけではありませんでした。前者については、会のなかでは「学術書もポピュラー哲学と同様に売れるべきだ」という主張がなされたわけではなく、述べられたのは、学術書にも「適正な・売れないと困る規模」がある、ということでした」(酒井さん)
Q.データ分析を行ったとしても、すぐにそれをフィードバックするのに耐えられない取次によるサプライチェーンの問題はどうすれば解決できるのか。コンビニができるきめ細やかな流通を出版業界はできてないと思う。
「例えば取次流通ではない直取引流通は手段の一つですが、直取引だけが唯一絶対の手法ではないと思います。コンビニとは扱う商品点数の桁や商品鮮度が違うので、それを「できていない」という比較にあまり意味を感じられません。ただ読者に対してストレスなく必要な書籍を届けられているか、ということに業界内も読者も合格点に達していない、という認識があることは確実で、意見や改善提案はされているところなので(直取引もそのひとつ)、それが実を結ぶといいなと思っています」(小林さん)
「おっしゃるとおりだとは思いますが、きめ細やかな流通を実現したところで、全体としてうまくまわるかはまた別のようにも思いますが、ちょっとそこらあたりの知見ははずかしながらもちあわせていません」(山田さん)
「データ分析とひとくちに言っても、分析対象となるビジネスごとに有効な手法は異なります。それはとりわけ対象ビジネスごとに介入できる単位と粒度が異なるからです。今回のPDCA事例でも検証して有望と思われる施策があっても商慣習上できないことがありました。一方で外からの分析者の示唆から商慣習を改訂できないか考慮してみることと、他方でそもそも出版商慣習とリソース具合にマッチした分析、PDCA手法を開発することは、同時に両輪で取り組めるのではないかと思います」(朱さん)
Q.出版社が出版点数を追うのは何故か。ブックフェアの成功が示唆しているのは「新刊じゃなきゃ売れないというのは幻想だ」ということではないのか。
「会社によって考え方は異なるので、違う場合もあると思いますが、《一般的に》新刊売上が既刊本を売るより経済的な効率は良いからです(弊社がそういう考え方をしているということではありません)」(小林さん)
「わたし個人としてはそのとおりであると思います。ただ、新刊を出すと、一気に売れますからね」(山田さん)
「「新刊じゃなきゃ売れないなんてことはなかった」というのは幾つかのフェアの経験にもとづいて私が述べたことでした。「幻想だ」というのはさすがに言いすぎですが、それでも「新刊なしという前代未聞のフェアが、にもかかわらず成功した」という事例を少数であれつくれたことは間違いありません。これを真面目に受け止めてくださる書店さん・出版社さんが増えることを期待したいと思います」(酒井さん)
「今回のイベントでの示唆のひとつに、ご指摘の点および出版社にとって「予想外に爆発的に売れ、以降は売れない(大量返品が出る)」本よりも「ある程度予想が立ち、安定的に売れる本」がありがたい、というものがありました。これを念頭に置くと、買い手や書き手たちが考えられる手法の幅は広がるだろうと思います」(朱さん)
Q.個人的には哲学書と自己啓発書が近づいているイメージがある。両者の違いについてどう考えているか。例えばその違いは、内容的な面なのか、著者なのか、出版社なのか。それともそんなに意識的に分けていないのか、など。
「読者対象の違いでしょうか。広く一般を想定するのか、学生・院生・研究者を想定するのか」(山田さん)
「「自分自身の認識や能力を向上させる」という本来の意味での自己啓発と哲学書はそもそも相性がよく、ポピュラー哲学書には自己啓発書として読まれることを想定して出版されたものも多いです(詳しくは本誌4-1号のポピュラー哲学特集をお読みください)。ですので、「哲学書と自己啓発書が近づいている」というよりは、哲学書の自己啓発的な側面に着目した(ポピュラー)哲学書や哲学書のテイストを織り交ぜた自己啓発書の出版が目立っている、という方が適切かもしれません」(稲岡さん)
Q.本を宣伝、販売するときの工夫(執筆者によるツイート、PDCAなど)に加えて、書籍の企画や執筆、編集の段階での〈売る〉ための工夫はあるか。
「あまりかわったことはしていないかもしれません。なにかあればいいのですが、勁草書房レベルの商売の規模において費用対効果の問題をクリアする方策がなかなかないというのが現状かと」(山田さん)
Q.ポピュラー哲学の本を、ガチな哲学書の読者を増やすためのツールとして生産するというのはありだと思うが、これまで哲学にふれてこなかった層ではポピュラー哲学の本でとどまる人のほうが多い気がする。ポピュラー哲学の本の影響力は実感しているか。
「影響力を実感しているかといわれると、あまり感じていないということになりますが、長期的には、裾野を広げることは絶対にあるので、期待しています」(山田さん)
「これはポピュラー哲学本ばかりの影響かはわかりませんが、ビジネスでも「哲学・倫理学」に向けられる視線が、ここ5年くらいでもかなり好意的ないし期待を帯びたものになっていると実感します。自分なりの仮説もありますが、この辺りはぜひ『フィルカル』特集をご参照いただければと思います」(朱さん)
「たとえば哲学教育の現場でポピュラー哲学の影響力(ポピュラー哲学本のおかげで哲学に興味をもった、など)を実感するかというと、正直それはあまりありません。しかし、ポピュラー哲学本でとどまる人が多いこと自体は悪いことだとは思っていなくて、とにかく哲学に触れる機会が増えることは重要だと思います。ただ他方で、「ガチな哲学書の読者」になる道をもう少し整備してもいいのでは(たとえば、橋渡しするレベルの本を増やしたり、そういう本をどのような順番で読めばいいかなど紹介したり)、とは思っており、『フィルカル』はそれに貢献していきたいとも思っています」(長田)
「ポピュラー哲学書の書き手には、それ自体で完結した読まれ方を想定してされている著者もいれば、より進んだ内容の哲学書への橋渡しを意図されている著者もいます。ただ、そうした著者の意図とは別に、教育現場でポピュラー哲学書を活用する試み自体はもっとなされてもよいと私自身は思います。実際に私はポピュラー哲学書を用いた授業を行っています。効果を分析する段階にはまだなく、あくまでも肌感覚レベルですが、手応えのようなものは感じています。教育現場でのポピュラー哲学書の活用は探求する意義のある課題だと考えています」(稲岡さん)
Q.「リコメンドをすれば高い本も売れる、むしろ売上数を増やすために安易に値段を下げる必要性が薄いのでは?」とのことだったが、結局高価な本を買う層は潜在的に購入意欲がある層で、その分野の人間なのではないのか。ライト層への普及に繋がっているのかが気になる。
「ブックフェアの結果をみるに、その分野の人だけともいえない成果があがっているように思います。ライト層をどう定義するのかにもよりますが、「教養人」とされる方々はいらっしゃって、そこに届けば、ありがたいです」(山田さん)
「マーケティング一般の知見として、売上を顧客ユニーク単位でみたならば、その大半がごく少数の顧客で占められている(少数顧客が売上の大半を構成している;パレートの法則)という構造が認められます。この傾向は商材の嗜好性が高いほど顕著で、今回は顧客ユニーク単位では分析できないデータ環境でしたが、単価と売れ行きから推定すると学術書は嗜好性の高い商材でしょう。そのため「(ボリュームゾーンである)ライト層が重要」という言説は、いちど疑ってみてもよいかもしれません。もちろん、通時的にみれば明日のヘビー層を育成するための活動は重要ですが、それは出版セクターだけに課されるべき任務ではないでしょう」(朱さん)
「これまでのフェアの経験からしても、〈潜在的に購入意欲がある層=その分野の人間〉とは必ずしも言えません。適切な仕方で情報の提示があればお金を出すつもりのある読書人層というのは実際におり、私がおこなってきたフェアでは、むしろそこをコア・ターゲットとして設定し、その層の要求に耐えうる情報を提供しようと試みてきました(だからこそ「読書人による読書人のためのブックフェア」と銘打ってきたわけです)。またヘビーな読書人も当初はライト層だったはずです。これまで私主催のフェアでは詳しめの紹介文とともに150〜200冊の本を一気に紹介していますが、これはもちろん、ライト層からヘビー層への橋渡しのことも念頭においています。さらにまた、ライト層には研究を指向している学部生・院生が含まれていることも重要です。ブックフェアのリストを頼りに数年間にわたって系統的な読書をおこなったうえで研究会の場に登場する若い研究者はすでに出現しはじめており、その意味で、ブックフェアはライト層と専門的研究者の橋渡しにもすでに実際に役立ちはじめています」(酒井さん)
Q.専門書を選ぶ層は著者が誰なのかについても注意を払い、大家の本を買いがちだと思う。『信頼を考える』の著者陣はみなさん若手(研究員、講師、准教授レベルという意味で)だが、売るに当たって危惧はあったか。また若手研究者の本を「売れる本」にする工夫はあるか。
「学術書の編集者としては、良い内容となるようにお手伝いするほかないとは思いますが、わかりきったことをあえてあげるとすると、大家が取り組まない、先進的、チャレンジングなものにして、話題になれば、ということでしょうか」(山田さん)
「『信頼を考える』については、出版企画を聞いた当初から「厳しいだろう」と想像していました。その点、ブックフェアを開催できてほんとうによかったと思います。なにもしなければ手にとってもらう以前に負けていた可能性が高い本ですが、フェアのおかげで、内容の広がりと面白さを、無理なく、そして充分にアピールすることができたと思います」(酒井さん)
「少なくともブックフェアにおけるSNS上での宣伝効果に限定した話ですが、大家の先生によるPOP告知より、当該分野で認められている「若手」が発信した際の方が効果が大きかったりもしました。それこそ「大家」も巻き込みながら、学術コミュニティにおいて信頼されていたり、評価されている「若手」を可視化することが、哲学マーケット全体の活性化という意味でも効果的なのだろうと思います」(朱さん)
会場ではいくつもの「ここだけの話」があったので、この記事では触れられていない面白い話題もまだまだ聞けました。フィルカルでは今後もポピュラー哲学関連のものを含め、様々なイベントを展開していきますので、ご期待下さい。また最新刊4-1号では、今回のイベントの登壇者が原稿を執筆していてイベント開催のきっかけともなったポピュラー哲学特集が掲載されています。こちらでは具体的な書名を多くあげてより突っ込んだ議論が行われていますので、是非手にとってみてください。
フィルカル編集部
佐藤暁